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笑うこと

今年も残すところあと2ヶ月。

「えっ、もう? 速い!」と言いたくなるのは例年のことですが、

加えて今年は思ってもいなかったことばかり。

年のはじめの計画通りに物事が進んだ人なんてほぼいないでしょう。

想定外の事態に見舞われると、誰でも心に余裕がなくなります。

ふと気づけばため息をついていたり、眉間にシワを寄せていたり。

「ああ、大変だ」と思えば思うほど本当につらい気分になっていく時に

頭の中で聞こえるのは

笑える余裕を持ちましょうね

という六輔の声です。

父は人生において「笑い」の要素を何よりも大事にしていたな、と思います。

大事なことを伝えたいとき、深刻にせずにあえて笑いをまぶして話す人でした。

それを不真面目・不謹慎と受け取る人もいたと思いますが、お構いなしで

スキあらば物事をクスッと笑える方向に持っていこうとしました。

自分自身がそうやって心の余裕を保とうとしていたのだと思います。

辛い経験も、後から思い出すと結構笑えたりするものですが、

たとえそう思えなくても笑い話にしてしまう。

疎開先でいじめられた子供時代のことも、

「そのうちに、今日はどんなふうにいじめられてやろうか

と楽しむようになった」なんて言っていました。

もちろんこれは強がりでしょうけど、こういう感覚を本当に持てたら

怖いものはありません。

大変な思いをしているとき、辛い目にあっているとき、

目の前にある苦境だけを見るのでなく、

「いつか絶対これを笑い話にしてやる!」と考えると

少し冷静に自分を見ることができることを教えられました。


一方で、違う種類の「笑い」もあります。

自分を素直に笑えるというのは、人間として大事なことです。

「ああ、なんと俺(私)は馬鹿だったのか」という笑い。

それが人間に陰影をつくると思うのです。

自分を笑う、というのは器の大きい人にしかできないような気もします。

逆に言えば、自分を笑えるようになることで人間に陰影や深みができるし、

器が大きくなっていくのかもしれません。

この流れでもう一つ。

日本の政治家・官僚社会で一番いけないことは、

謝らないことと自分を笑えないこと。

これは伝統なのか何なのか、今の政権にもあてはまりそうです。


コロナ禍という歴史に残る災厄に見舞われた2020年をのちに振り返った時に

「布マスク2枚配布」という世にも不思議な笑い話を残してくれたという意味で、

これは前首相のちょっとした功績と言えるかもしれませんが・・・

惜しむらくはここに税金を投じてしまったこと。

やっぱり笑い事じゃないですね。


自分を笑うことができる余裕があって、間違いを認めて謝ることができる 政治家がいたらどんなにか魅力的に見え、支持を集めることでしょう。 私なら、絶対に間違わない完璧な人よりも、断然こちらを選びます。


それにしても

早く心から大声で笑える世の中になってほしい・・・!!




​文:永麻理