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​文:永麻理

立ち止まって、振り返って

長く続くコロナ禍の中、

私たちは日常生活でいくつもの変化を余儀なくされました。

その中には、今の時代だからこそ可能になったものも多いです。 春以降、私もオンラインの会議に参加したり、 友人とZOOMでおしゃべりするようになりました。 国内外を問わず、あちこちにいる人たちが画面上でお互いの顔を 見ながら話ができるなんて、子供の頃の自分からすれば、 これはほぼSFの世界だなあ、と思ったりします。 感染症に脅かされている状況では、“ かつてのSFの世界 ” が 実現していることによる恩恵は計り知れません。 その一方で、 日頃から20代の息子たちが、 一般人が使える範囲の最新テクノロジーを説明してくれたり 私でも使えるようにとスマホやパソコンに設定してくれたりするのですが、 「あ〜、私、そんなことまで出来なくていいんだけど」 と、なんだかクラクラしそうになる自分がいます。 今回のろくすけごろく、 ある講演での話の抜粋なので少し長くなります。 旅暮らしを長く続けてきました。 知らない街を歩くときの「歩き方」というものがあるんです。 それはときどき「振り返る」んです。そうすれば帰りに迷いません。 でも振りかえらないで歩くと、ちょっとした曲がり角で迷ってしまいます。 たまに立ち止まって、振り返って、ということが大切なんです。 これは旅に限ったことではありません。 われわれの暮らしの中では、たとえば子どもへのお説教。 あれは体験があるから叱ることも注意することもできる。 あとあと叱られてよかったと思えれば、 さらに次の子どもたちに渡していく体験につながります。 でも科学の世界はそういうことができない。 人間がかつて思い至らなかったこと、 誰もそんなことが出来るなんて思わなかった世界にどんどん進んでいきます。 体験があれば立ち止まることができる。 でも誰もやったことがないことは冷静に思考するのが難しいんです。

身近な話をします。 バイオテクノロジーで、種のないぶどうができました。 とても人気で、最近は色々な種類の種なしぶどうがあります。 それならば、と「種なしスイカ」をつくろうという話になりました。 種がなければ種を吐き出さなくていいわけだから売れるに違いない。 というので種なしスイカをつくりました。 ……売れないんです。 やっぱり「赤い果肉」に「黒い種」があってこそのスイカなんです。 種をぷっぷっと吐き出すから、スイカなんです。 ここが大事なところなんですが、 ついていけることと、ついていけないことがあります。 ぶどうはいいけど「スイカは違う、やっぱり種があった方がいいよ」という、 この判断がいまわれわれに要求されています。

「そこまでしなくていいよ、もうちょっとゆっくり歩こうよ」 という言い方がわれわれの暮らしにあればあるほど、 人間は人間らしく間違わないで生きていけると思うんです。 科学に対してわれわれは感謝もするけれども 「なんかいやだな」という直感と意思表示も大事です。 この「なんかいやだな」は、私の場合、 自分から欲しているわけではない過剰な便利さを次々に与えられて 代わりに、何かを忘れたり失ったりしているような感覚・・・ だと思います。 昔はよくかける相手の電話番号20〜30件は頭に入ってた、と思うのですが 今、家族の携帯電話番号を言えと言われたら、「えーと・・」となってしまう。 人間は、覚えている必要がないと覚えなくなりますね。 メールやLINEばかりの生活では、漢字だって、いざ書こうとすると 自信がない字がたくさんあります。 恥ずかしい話です。 そんなことは文明の利器が補ってくれるのだから、その分、限られた脳の力を 他のことに使えばいい、というのもその通りなのですが。 人類の歴史の中で、その時々の科学技術の発達において 古い世代の人間のこういう感覚は常にあったのでしょうね。 世の中の先端を突っ走っていく人がいて、 後ろの方で立ち止まって振り返りながら進む人がいて、 そのどちらの役目も大事で、 どちらもいるからこそのバランスが必要だという気がします。




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