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こども時代の思い出

落ち葉の季節です。

我が家の前の道は毎年大量に枯れ葉が落ちるので、

今の時季は朝夕掃除しても足りないくらいです。

道の掃除をしていると必ず思い出す話があります。

今回の《ろくすけごろく》は六輔の言葉、というより、

六輔にとっての思い出深いエピソードです。

父が子供の時の話です。

父は6人兄弟妹。

昔の子供たちは、今よりずっと家の手伝いをしていました。

年齢が上がるにつれてできる手伝いのレベルも上がるので

それまでより難しい仕事を任せられるとうれしかったといいます。

小学生の時、六輔少年は朝早く家の前の道を掃除する当番になりました。

初日、ホウキと塵取りを手にたいそう張り切って道に出ると

お向かいの家(浅草の寺町ですからお向かいもお寺です)のほうまで

全体を端から端まできれいに掃除したそうです。

終わって朝ごはんを食べているとお向かいの家のご主人がやってきました。

「今朝、前の通りの掃除をしたのは誰だい?」

向こう側まで掃除したことを褒めてもらえると思って

「はい!僕です」と返事をすると、

「坊ちゃん、うちはうちで毎朝掃除するのが習慣なんだ。

人んちの方まで掃除するもんじゃない」

とたしなめられたそうです。

いいことをしたつもりなのにそんなものか、と思い直して、

翌朝は道の真ん中まできっちり半分だけ掃除したところ、

またもやお向かいのご主人がやってきました。

「うちの方までは掃除するな、とは言ったが、きっちり半分ていうのも

感じが悪いと思わないかい? キミは真ん中よりちょっとこちらまで、

うちも真ん中よりちょっとそちらまでホウキではく。

そうすると通りの真ん中は2回掃除したことになる。

そのきれいな真ん中をよそから来た皆さんに歩いてもらおう、ってことだ」

父は幼心にこの思い出を刻みつけたようです。

昔はこうやって子供にものを教えてくれる大人が近所にたくさんいて、

世の中の道理や生きていく上でのちょっとした智恵を分けてもらえた、と

よく話していました。

今の世の中は他人との関わり方が難しく、ともすればギスギスしがちです。

こんなふうに身近な大人がみんなで子供を育てるような優しさ、

精神の豊かさはなくなっていくのかな、と寂しく感じます。

「語り継ぐ」なんていう大袈裟な話ではありませんが、

落ち葉の道を掃除する私の胸の中だけにしまっておくのでなく、

読んでくださる方にお伝えしたくなりました。

《十一月の一句》

末枯のなか初孫を抱いてゆく    (1992年)

この初孫も今月結婚します。



​文:永麻理