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「変だ」と思うこと



2022年になったのはついこの間のことなのに

もう今年も6分の1が過ぎようとしています。

(毎年、2月の終わりに同じことで驚きます・・・)

少しずつ春の気配を見つけることができるように

なってくる時季ですが

世の中を見回すと、国内外で

新型コロナが相変わらずおさまらないだけでなく

心穏やかでいられないことがたくさん起きています。

現代は、私たちが生きる社会についても政治についても

国際情勢についても、様々な情報が入ってきます。

そういうなかで、自分は何を思うのか、どう感じるのか

そして何かできることはあるのかないのか、

あるとしたら行動するべきなのか、・・などなど

私自身、考え込んでしまうこともしばしばです。

父の場合は、子供の頃の戦争体験から

「世の中はいつまたおかしな方向に行ってしまうかわからない」

という危機感が強かったように思います。

社会で起きる様々な出来事に常に敏感に反応する人でした。

世の中には「これは変じゃないか」と思うことがあります。

ところが、その変がいつの間にか当たり前になっている場合があって

ドキンとします。

「変だと思いませんか?」はその流れに逆らうことなのです。

「ちょっと待ってください!」と叫ぶことも必要になってきます。

そして、今に「変だと思いませんか?」と言えた時代を懐かしむ

なんてことにならないように、いつまでも言い続けたいものです。

「変だと思いませんか?」と。

これはいかにも六輔らしい言葉で、

実際にこの通りに発言し続けていた人生でした。

でも、私から見るとこれはなかなか勇気のいることで

簡単ではないなあ、と思ってしまいます。

今の時代はSNSで誰もが自由に発言できます。

父はSNSからはあえて距離を置いていましたが、

マスメディアを使わなくても、有名無名を問わず

誰でも世界に向けて発言できるようになったのはいいことだ、

と言っていました。

私はTwitterを少しだけ利用していますが

多くの人たちの発言を目にして勉強になることもあれば

楽しい気分になることもある一方で、

自らの意見を呟いた人に対する攻撃的な反応を目にすると、

それが自分に向けられたものでなくても

なんともイヤな気持ちになります。

結果、発言すること自体も恐くなってしまう。

そういう人は多いのではないでしょうか。

こんな時に必ず思い出すのが

父が感銘を受けてよく引用していた

フランスの哲学者・文学者、ヴォルテールの高潔な姿勢。

「私はあなたの意見には反対だが、  あなたがその意見を主張する権利は  命をかけて守る」

これが共通認識になっていたら、

世界はどんなにか建設的で平和になるでしょう。

これに通じる父の文章で「変」について、もうひとつ。

変だと思うことは人それぞれである。 僕が変だと思ったからと言って、誰もが変だと思うわけではない。 変だと思うことが変な場合だってある。 みんなで変なことを変だと言えることが民主主義なのだ。 世の中にある小さな変でも大きな変でも、 見つけるだけは見つけておきたい。 「見つけるだけは見つけておく」 これは私にもできますから、まずはここからです。

そして今日は、言ってみます。

「日本も昔やってしまった愚行ですが、

 よその国に武力をもって侵攻するなんて

 絶対に変だと思います。」


《 二月の一句 》

生きてきた通りに生きて春一番  (2001)












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​文:永麻理