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親としてできること

当たり前のことですが、子供は親の影響を受けて育ちます。

六輔は特に、その父親からの影響が大きかった人だと思います。

そう言うと、祖父は影響力を行使する人だったみたいに聞こえるかもしれませんが、

むしろ全く逆でした。

六輔の生家、《寿徳山 最尊寺》は江戸時代、元禄より前から

浅草で続く浄土真宗の寺です。

祖父、永忠順は最尊寺の十六代目の僧侶でした。

「学僧」と呼ぶのがぴったりの勉強好きで物静かな人でしたが、

下町育ちですから寄席にも通いますし、シャレのわかる飄々とした風情のお坊さんでした。

6人兄弟の次男だった六輔は、父親を大変尊敬していました。

僧侶としての在り方も、下町の粋人としての在り方も、そして親としても。

祖父は、子育てについてこういう姿勢だったそうです。

「親が子供にしてやれる一番のことは、子供の邪魔をしないこと」

言うまでもないことながら、これは放任する子育てということではありません。

子供に親の思いや希望を押し付けることはけしてせず、

生きたいように生きてゆくのを見守る姿勢とでもいうのでしょうか。

父によれば・・・

「子供たちの邪魔にならないように」

これは最尊寺の、子供に対する教育の根本方針だったような気がする。

そしてこの言葉が嘘でないことは、僕自身たしかな手応えとして思い起こすことができる。

父も母も「親になるのではない。子供に、親にしてもらったのだ」という考え方である。

世の中で最も身近な、しかもある年代までは保護下・指揮下にある子供、

その子供の邪魔にならないように、というのは

とりも直さず誰の邪魔にもならないということでもある。

さらに振り返って父曰く

本当に邪魔にならない親でした。

邪魔にならないということと、存在感がないということとは違います。

そして、父もまた私たち娘に対して同じ方針を貫いたと思います。

父は、見事なくらい、ああしろ、こうしろと言わない親でした。

子供の頃、両親から「勉強しなさい」と言われたことは一度もありませんでした。

父からは「目が悪くなるから、暗いところで本を読まないで」とだけ、

これはよく言われました。

勉強しろ、と言われなかったので、姉も私も勉強が好きでした。

でも、良い成績をとっても「それはあくまでも学校による君たちの評価」と言って

父は成績表を見ようともしませんでした。

進学や就職、いわゆる人生の岐路における選択についても何も言われたことがなく、

そもそも父は忙しく過ごしていて、なかなか話す時間もないので

母に全部話しておけば、そのうち伝わるだろう、という感じでした。

ただ、父から娘に言いたいことがある時は、部屋のドアの前に手紙が置いてありました。

ちゃんと封筒に入っている手紙ですが、例によって非常に短い文面。

私がテレビの仕事でニューヨーク支局勤務になった時は、

出発する前日にやはり手紙が置いてあって

「NYにいる間、日記代わりのハガキを出すことにします。

 貴女は時々、昌子サンに連絡を」

私は母にべったりの娘だったので、母が寂しがらないように、ということでしょう。

祖父から父へも、よく手紙が来ていたことを考えると、

これが永家の親子のコミュニケーションの形であったと言えます。

実際、ニューヨークにいた2年間ずっと、週に2通ほどのペースでハガキが届きました。

「今日は沖縄でトークショー」「ロケで函館に来ています」

「昌子サンとチャック(黒柳さん)の芝居を観に行ってきました」などなど

本当に日記代わりのメモのような内容でしたが、

「日本中どこへ行っても朝は6時半にWorld Uplink」と、

私が出ていた毎朝のニュース情報番組を見た感想もよく書かれていました。

こちらからはことさら父宛ての返事も出さずじまいでしたが、

今になってその頃もらったハガキの束を取り出して読み返すと、

上記の父の言葉を、そのまま返したくなります。

「本当に邪魔にならない親でした。  邪魔にならないということと、存在感がないということとは違います」

さて、永家の「子供の邪魔をしない親」の伝統??ですが、

自分が親になった時、もちろん意識しました。

意識はしましたけれど、これがいかに難しいことか!!

心配しすぎ、世話の焼き過ぎも、「子供の邪魔」になるとわかってはいても、

ついつい・・・

私は、親としてはいまだに修行中の身です。



撮影・大石芳野

​文:永麻理