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​文:永麻理

沖縄と六輔

今日、6月23日は沖縄《慰霊の日》。


父は生前、日常的に全国を旅していましたが、

特に多く足を運んでいた場所が沖縄でした。

今はない《沖縄ジァンジァン》という那覇の小さな劇場で

毎月トークショーを開いたり、

RBC琉球放送でラジオ番組を10年以上続けていたこともあり、

沖縄への旅は、300回以降は数えるのをやめた、

というほど通っていました。


父が初めて沖縄を訪れたのは、まだ本土復帰する前のこと。 私も幼い頃、父に連れられて復帰直前の沖縄に行っています。 車は右側通行、通貨は米国ドルだったのをうっすら覚えています。 日本の敗戦後、そのままアメリカに占領された沖縄の状況を、 娘たちにも見せておかねばと考えたのかもしれません。



六輔が言っていたのは


僕たちの世代は、太平洋戦争での沖縄の立場に責任を感じているんだ


そして


沖縄(ウチナー)からは日本(ヤマト)が見える

日本(ヤマト)からは何も見えない



琉球王国にはじまる沖縄の歴史を持ち、

沖縄に生まれ育った人たちの想いというのは、

私がここで何か言えるようなものではありません。

ただ、生粋の江戸っ子の六輔が、

いつも沖縄に心を向けていたことは確かで、

父なりに沖縄の人たちの想いを受け取り、すくい上げては

広く発信しようとしていたことは

私の記憶にもはっきりと残っています。


そんな六輔のことを沖縄の方々はいつも温かく迎えてくださり

街や市場などで「永さん、おかえりなさ〜い」と声をかけられていました。

そしてありがたいことに今でも、

父に親しみを持ってくださる方が多くいらっしゃいます。


1965〜69年にかけて、作曲家のいずみたくさんと六輔が

都道府県一つ一つの歌を作り、デュークエイセスが歌った

《にほんのうた》シリーズというものがあります。

京都の《女ひとり》、群馬の《いい湯だな》などがよく知られていますが、

沖縄の《ここはどこだ》は、とても心に響く歌です。




《 ここはどこだ 》


ここはどこだ

今はいつだ

涙は乾いたのか

ここはどこだ

今はいつだ

戦(いくさ)は終わったのか


ここはどこだ

君は誰だ

仲間はどこへ行った

ここはどこだ

君は誰だ 日本はどこへ行った

流された血を

美しい波が洗っても

僕たちの島は

それを忘れない

散ったひめゆりを

忘れはしない

君の足もとで

歌い続ける


ここはどこだ

今はいつだ

戦(いくさ)は終わったのか

ここはどこだ

君は誰だ 日本はどこへ行った

日本はどこへ行った

日本はどこへ行った


こちらは、YouTubeにあがっているデュークエイセスの歌唱




日本であって日本ではないような

アメリカ統治下の沖縄を初めて訪れた父の想い、

この歌詞を書いた時の気持ちが伝わってくる気がします。

歌が作られたのは60年代ですが、古くなっていません。

令和の今でも、まだ通じるものがあります。


近年は世界的にも大人気の観光地となっている沖縄ですが

今はコロナ禍のなか、経済的にも厳しい状況です。

コロナ禍のため、(あるいは、オリンピック開催に向けてお忙しいのか)

今年《沖縄全戦没者追悼式》に総理大臣は出席せずビデオ・メッセージのみ。


六輔の代わり、にはなりませんが、

今日、《慰霊の日》は沖縄に心を向けて過ごしました。




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