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​文:永麻理

智恵ある人に・・

5年前に父が他界したとき、感じたことがあります。

「近所にあっていつでも行けた大きな図書館と大きな博物館が

いっぺんになくなってしまった!!!」ようなショックです。

ちょっとした疑問にぶつかった時、

「ああ、これ、訊いたら絶対答えてくれただろうな・・・。

これからは自分で調べなきゃいけないのか・・」と。


そんな情けない娘がよく思い出す言葉。

知識があれば良いというものではないんです。 それを活かす智恵があって初めて知識が役に立ちます。 知識は文明、智恵は文化です。 そして、智恵というのは 自分よりも長く生きた人たちから学ぶ以外に身につける術はありません。 父は学生の頃から、お年寄りの話を聞くのが大好きだったそうです。 歳を重ねた人から教わるのはもちろんのこと、 智恵は「自分」も含めた「人の経験」から学び、身につけていくもの。 例えば、何かをするのに「このやり方だと上手くいかなかった」と気づき、 工夫して「こうしてみたらうまくいった」という経験は智恵を育て、 それを他の誰かに教えたり、教えられたり・・・ 人から人へと伝わっていくのが智恵であり、文化だと言っていました。 そういえば、こんな言い方も 勉強ばっかりしているとバカになっちゃうぞ 言葉は乱暴ですが、父らしいといえば父らしい表現。 「机に向かって知識ばかり増やしても、 生活の中で人から学んで智恵をつけていかないと 本当の意味で頭を働かせることはできない」と。 言っていることは最初の言葉と同じですね。 身内が言うのも口はばったいことですけれども、 父は知識と智恵の宝庫でした。 とにかく好奇心の塊のような人でしたから、四六時中 「あれは何?」「それはなぜ?」「これはどういうこと?」 を見つけては、肌身離さず持っている手帳にメモをする。 これは、若い時から晩年までずーっと変わりませんでした。 そして、父の場合、本も実によく読んでいましたが、 知識も人から得ることが多かったと思います。 それこそ日本中、そして海外へもあちこち足を運んでは 自分の目と耳で物事を見聞きし、 人に話を聞いてまわっていましたから 生きた知識と智恵を手に入れていたのでしょう。 今はなんでもインターネットで調べようと思えば調べられますし 人が得られる情報量は飛躍的に増えました。 (必ず正しい情報が得られるとは限りませんが・・) でも、生前の父の尽きることのなかった好奇心と情報収集力・発想力を 思い出すと、私自身は絶対に敵わないなと思います。 手元のスマホやパソコンで簡単に知識を得ることができてしまう分、 智恵を身につける努力は自分でしなくては・・・!!

《十月の一句》 古書市のページから散る紅葉かな  (1992)




〈30代の頃の書斎にて〉



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