永六輔はつねに小さきもの、弱きもの、少数派に目を向ける人でした。
それはお寺の生まれであることに加えて、
戦時中の少年期の経験から来ていたようです。
浅草で代々続く寺に生まれた六輔少年は身体が弱く病院通いが続く子供でした。
しかし、長引く戦争のなか疎開せざるをえなくなり、
とても細いご縁をたよりに縁故疎開します。
疎開先で待ち受けていたのは、いじめでした。
学校単位の集団疎開と違って友だちはいない。
東京から来たひ弱なお坊っちゃんで、しかも名字は日本由来ではない「永」。
現地のやんちゃぼうずたちは、永少年を敵に見立てて
戦争ごっこをしかけてはこてんぱんにやっつける・・、
という日々だったようです。
疎開先での経験はトラウマになっていたのか、
私たち家族に語ることは一切ありませんでしたから
私は父が外向けに話したり書いたりしたことから知りました。
そうした体験が子供心にしみついていた六輔は
とにかく弱い側、少数の側に反射的に味方につくようなところがあり、
強い側、多数の側に対しては反骨心を持つのが常だったように思います。
清水の次郎長よろしく「弱きを助け、強きをくじく」という言葉が好きでした。
「じゃあ、強いほうが正しいことを言ってて、弱いほうが間違っていたら?」
と訊いた人がいました。
答えは「それでも弱いほうに味方する」
この答えはちょっと意地になっていたかもしれませんが、六輔の論理はこうです。
強いものの声はほっといたって大きく響きわたる。
だからなおのこと、弱いものの小さい声を絶対に 無視してはいけない。
言っている内容は問題じゃない、
味方するというのは弱い小さい声もちゃんと聞くということ。
さらにはこんな言い方も
「弱いものいじめは絶対にダメだけど、強いものはいじめてもいい」
子供時代に敗戦を経験した父たちの世代は、国に対する不信感が大きいようで、
父はこの「強いもの」にしばしば国の中枢である政権や社会的権力を重ねてもいました。
国のトップが
大きな声を響き渡らせて自分たちのやり方をおし通し
「丁寧に説明する」と言うばかりで国民の小さい声には耳を傾ける気もない、
間違いに対してその「責任を痛感」するけど責任は取らない、
記者会見では自由に質問させない、
そんな政治権力が存在するとしたら・・・
庶民による政権批判は遠慮なくすべきことであり、
強いものいじめも許されるんじゃないかと
わたしも思う今日この頃です。
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