父はテレビ草創期には放送作家としてスタートし、
まもなく自分も出演するようになりましたが、
どんな番組でも出役だけの仕事はせず、
必ず企画・作・演出に関わっていました。
テレビなどの映像作品に限ったことではありませんが、
真摯にもの作りをしている人は、
出来上がったものを受け取る私たちの想像も及ばないくらいに、
そして結果的に私たちが気づかないかもしれないようなところにも、
細部にまで気を遣い、考え抜いて工夫し、時間と労力をかけ、
心身を捧げて何かを作り上げ、私たちに届けてくれている・・・
それは、父が大好きだった《職人気質》とも言えるかもしれません。
私は今、関わらせていただいている放送批評のお役目の中で、
テレビ番組評を書いています。
「批評」といっても、私の場合は優れた番組を推奨する役なので
基本的には評価して称賛する文章です。
発想力や想像力、真摯なもの作りの姿勢が感じられる番組に対しては、
心を動かされた者の一人として、
敬意をもって私なりの評価を言語化したいと考えています。
それとは別に、私が日頃から心がけていることに
〈ほめ言葉はなるべく大きな声で、
そして可能な限り本人に伝える労を厭わない〉
というのがあります。
歳を重ねた者として、これからの時代を作っていく若い人たちに
してあげられることのひとつだと思うからです。
先日、”傑作”と思ったドラマについて、いつもより長い評文を書く
機会がありました。
その文章は、作り手のかたがたへの賛辞でもありましたから、
ご本人たちに伝えたいと思い、記事をお送りしました。
もちろん、お会いしたこともないかたばかりですが、
思った以上に喜んで反応をくださり、光栄なことでした。
そんななか、一人の脚本家さんが、
私の父についてのエピソードを教えてくださったのです。
今回の《ろくすけごろく》は、
その脚本家、吉田恵里香さんが覚えていてくれた、父の言葉です。
吉田さんが中学一年生の時に、永六輔が何かのご縁で彼女が通っていた学校の
式典で、生徒たちに向けてちょっとした講演をしたことがあったそうです。
生徒会に所属していた彼女は、父に花束を渡す役目もなさったのだとか。
その話の中で、吉田さんの心に残ったのがこんな内容。
若い時は自由を持て余す。
縛られることは窮屈だろうが
校則をすり抜ける楽しさ・面白さがあることを知って欲しい。
いかにも父が言いそうな、六輔らしい言葉です。
生徒たちと一緒に聞いていた先生方は、ちょっと困ったかもしれません。
そういうことを子供たちにあえて言うのが好きな人でした。
そして、まさにこういう”遊び心”に欠ける四角四面な娘だった私のことを、
父がちょっと心配していたことまで思い出され
なんとも懐かしい気持ちになりました。
吉田さんは、
これが中学生だった彼女の心に「ビビビッときた」と教えてくれました。
「今考えれば、何事も見方を変えれば希望・喜びがあるという
自分の作品作りのテーマに共通していると思いました」とも。
彼女は、お送りした記事よりも前に私が書いた別の評文を読んでいて、
いつか私に会うことがあったらこの話をしたいと思ってくれていたそうです。
まだお会いする機会はないままですが、私から記事をお送りしなかったら
こうして繋がることもなく、この話を伺うこともなかったかもと考えると、
今回「伝える」ことを厭わなくてよかった、と思わずにいられません。
思えば、素敵なご縁です。
父・六輔の言葉が一人の中学生の心に響いたこと、
その子が大人になって脚本家として書いたドラマ作品と言葉が
今度は私(だけではなく多くの人たち)の心に響いたのですから。
そして、彼女が生徒を代表して父に花束を渡してくれたように、
今回は私が彼女(をはじめとする作り手のかたがた)に、
やはり言葉で、受け手としての評価と感動のお礼を少しだけ
渡すことができたような気がしました。
いなくなってからも、いろいろなご縁を私に残してくれている父ですが、
こんなふうにぐるりと巡りゆくご縁もあるなんて、と嬉しくなりました。
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