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​文:永麻理

ラジオの話

父は、今振り返ってみても、

実にいろいろな分野で活動していた人でした。

いわゆる「肩書き」を訊かれると考え込んでしまいます。


メディアで目立ち始めた20代の頃の父を紹介する

昔のテレビアーカイブ映像を見たことがありますが、

「職業は”永六輔”」とナレーションが入っていました。

ずいぶんとカッコいい表現をしてくれていますが、

当時からそう言うしかないくらい雑多な活動をしていて

説明のしようがなかったということでしょう。


本人もそれはわかっていて

だから「この道一筋」という生き方の人たち、

職人さんや芸事で鍛錬して技を極めていくような人に

憧れと尊敬の念を抱いていたのだと思います。



そんな父の83年の人生の中で、一番長くたずさわっていたのは

ラジオというメディアです。

戦後間もなく、中学生でラジオ番組にコントを投稿しては

何度も採用されるようになったことをきっかけに

放送の世界に入りました。

その後いくつものラジオ番組を持った中で

TBSラジオ「誰かとどこかで」は46年半続きましたから

人生の半分以上の長さです。

そして、自分の名前のついた最後の番組は

他界する10日前まで続きました。

単純に計算しても、70年近くラジオと関わっていたことになります。


この12月は、TBSラジオ創立70周年とのこと。

その歴史を振り返るイベントのなかで、古い音源の配信や

『TBSラジオ公式読本』という書籍など、いくつかの形で

永六輔が取り上げられています。

本人がいなくなって5年経ちますが、

TBSラジオ史において永六輔を語り続けていただけるのは

嬉しい《お話し供養》です。


そういえば、父の訃報が出た後

TBSラジオの多くの番組で永六輔について語ってくださっていたなか

あるパーソナリティのかたが

「永さんはこのスタジオの壁に染みついているんじゃない?」

と話しているのを聞いて

「そうかも」と思ったものです。



今回の《ろくすけごろく》はラジオに関しての言葉をいくつか。



何かをしながら聴くことができるラジオは吹いている風のようなもの。

いい風が吹いていると楽しく仕事ができる。

テレビを見ながらでは手作業はできない。

ラジオは聴いたり聴かなかったりでいい。

気になったら聴けばいい。

気にならなかったら聴かなければいい。

僕たちは、スタジオでいい風になる努力を続けるだけだ。



これは例えば職人さんや農家の人たち、商店や運送業の人たち、

あるいは家事をしながら、など

さまざまなところで働きながらラジオを聴く人たちを

思っての言葉でしょう。



ラジオとか、電話とか、声だけで相手を説得しようと思ったら

聞いている人の頭のなかにある映像のスイッチを

入れなければいけません。

言葉が相手の頭のなかで映像になれば、なんとか伝わる。

だからこそ、想像力をかきたてる言葉のトレーニングが必要になる。

ラジオは豊かな日本語の接点にならなければいけない。



一時期は歌の作詞をしていた父、

そして、長年仲間と俳句を詠んでいた父、

ラジオ、テレビはもちろん、すべての仕事で

言葉を研ぎ澄ませることをライフワークにしていたと思います。



放送はいつか終了します。

どんな長寿番組でも、どんな人気番組でも、永遠には続かない。

でも、放送が創ったものは、残ります。

ひとりひとりのリスナーの心の中に、ラジオで聴いたこと、

聴いたことで変わったことがしっかり残れば

それがラジオ職人の満足。



父がいなくなってから、

本当に多くの方々が今も永六輔を思い出してくださること、

父が話したことを大事に心に留めてくださっていることは

私が実感しているので、父もきっと「満足」でしょう。


ここでは自分を「ラジオ職人」と呼んでいます。

これが一番しっくりくる「肩書き」だったのかもしれません。






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